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第02話 王太子の隣で笑う妹

Penulis: あおはな
last update Tanggal publikasi: 2026-06-09 02:56:20

 大広間へ足を踏み入れた瞬間、セレナは肌に突き刺さるような視線を感じた。

 王宮の夜会は、いつも華やかだった。

 高い天井には、無数の蝋燭を灯した大きなシャンデリアが吊るされている。

 磨き上げられた床には光が反射し、楽団の奏でる優雅な旋律が広間全体を満たしていた。

 色鮮やかなドレス。

 宝石を散りばめた髪飾り。

 上等な酒を手に談笑する貴族たち。

 ――誰もが笑っている。

 けれど、セレナが姿を見せた途端、その笑い声はほんの少しだけ揺らいだ。

「あれが……」

「ええ。エヴァレット公爵家の」

「まさか、王宮へ連れてくるなんて」

 聞こえないふりをすることには、慣れていた。

 セレナは灰色の布がずれていないことを確かめながら、父と母の後ろを歩いた。

 少しでも銀髪がこぼれれば、誰かが不安そうな顔をする。

 あるいは、あからさまに距離を取る。

 それを避けるため、背筋を伸ばし、目立たないように歩く。

 ――不思議なものだった。

 目立つなと言われ続けてきたのに、何もしなくても視線だけは集まる。

 忌むべき銀髪を持つ娘――その噂だけで、セレナはどこにいても人々の意識を引きつけてしまう。

「――セレナ」

 名前を呼ばれ、セレナは顔を上げた。

 声をかけてきたのは父親のオズワルドだった。

 広間の中央へ向かうことなく、壁際の一角を顎で示している。

「そこで控えていなさい」

「はい、お父様」

 セレナは素直に頷いた。

 王太子の婚約者であるなら、本来は彼の近くに立つべきなのだろう。

 けれど、それを口にするつもりはなかった。

 以前、一度だけアルベルトの隣へ近づこうとしたことがある。

 王家主催の晩餐会で、婚約者として挨拶をする必要があると思ったからだ。

 その時、アルベルトは露骨に顔をしかめた。

「君は少し離れていてくれ」

 声を荒らげたわけではない。

 けれど、周囲に聞こえるには十分な声量だった。

「その姿では、場の空気を暗くするだろう?」

 王太子のその言葉を聞いて、誰かが小さく笑った。

 その笑い声をセレナは今でも覚えている。

 以来、自分からアルベルトの隣へ向かうことはなくなった。

 今夜も同じだった――広間の中央には、金髪に青い瞳を持つ青年が立っている。

 ――王太子アルベルト・ラウエンシュタイン。

 整った顔立ちに柔らかな微笑みを浮かべ、周囲の貴族たちと言葉を交わしている。

 傍目には、理想的な王太子に見えるだろう。

 若く、華やかで、物腰も穏やか。

 民衆の前では思いやり深く振る舞い、困窮する農村へ寄付をしたという話もよく聞く。

 その隣で笑っているのは、セレナではなかった。

「殿下、こちらのお菓子、とても美味しいですわ」

「そうか。君は甘いものが好きだったな」

「覚えていてくださったのですか?」

「ああ、もちろんだ」

 アルベルトの隣には、淡い桃色のドレスをまとったリリアーヌがいる。

 金色の巻き髪が、灯りを受けて柔らかく輝いていた。

 リリアーヌは楽しそうに微笑み、アルベルトもまた、彼女に向けて穏やかな表情を見せている。

 婚約者であるセレナには、一度も向けたことのない表情だった。

 胸の奥が、わずかに軋む。

 けれど、それもすぐに押し込めた。

 羨ましいと思ってはいけない。

 自分は、あの場所に立つべき人間ではない。

 幼い頃から、何度もそう言われてきた。

 セレナは壁際に置かれた細い椅子へ腰掛けることもせず、静かに立つ。

 そのまま、少し離れた場所で、数人の令嬢たちが囁き合っていた。

「本当に連れていらしたのね」

「銀髪は隠しているけれど、何だか怖いわ」

「最近の魔物被害も、あの方が王宮へ上がるようになってから増えたのでしょう?」

「声を抑えて。聞こえてしまうわよ?」

 もちろん聞こえている――けれど、セレナは黙っていた。

 何かを言い返せば、それだけで不気味だと言われる。

 黙っていても、不気味だと言われる。

 ならば、せめて騒ぎを起こさないほうがいい。

 ――そう思ってきた。

「お姉様」

 明るい声がして、周囲の囁きが止んだ。

 顔を上げると、リリアーヌがこちらへ歩いてくるところだった。

 アルベルトも、少し離れた場所からその様子を見ている。

 リリアーヌは、誰からも見えるようにセレナの前で立ち止まった。

「お姉様、お顔の色が優れませんわ」

 心配そうに眉を下げる。

「無理をなさらず、壁際でお休みになってはいかが?」

 その言葉に、近くにいた貴婦人たちが感心したように息を漏らした。

「まあ、お優しいこと」

「リリアーヌ様は、本当にお姉様思いでいらっしゃるのね」

「ご自分が殿下のお側にいらっしゃる時でさえ、お姉様を気遣われるなんて」

 リリアーヌは恥ずかしそうに微笑んだ。

「当然ですわ。大切なお姉様ですもの」

 セレナは、何と答えればよいのか分からなかった。

 大切――その言葉が、ひどく遠いものに感じられた。

 離れに閉じ込められていた幼い頃、リリアーヌが訪ねてきたことはほとんどない。

 たまに姿を見せても、姉を気遣うためではなかった。

「フフ、本当に銀色なのね」

 珍しいものを見るように、窓の向こうから髪を覗き込まれたことがある。

「お母様が怖がるのも分かるわ」

 そう言って、リリアーヌは笑った。

 あの時の声と、今の柔らかな声はよく似ていた。

「お気遣い、ありがとうございます……では、少し休ませていただきます」

「ええ、そうなさって」

 リリアーヌは満足そうに頷いた。

 まるで、姉を正しい場所へ戻してやったと言わんばかりに。

 その場にいた貴族たちは、ますますリリアーヌへ好意的な視線を向けた。

 一方で、セレナを見る目には、憐れみと警戒が混じっている。

 セレナは視線を伏せ、灰色の布の内側で、銀髪が首筋に触れる。

 ひやりと冷たい感触だった。

 楽団の演奏は続いている。

 けれど、貴族たちの会話には、いつもと違う緊張が混じっていた。

 森に近い街道が、また魔物に襲われたらしい。

「今月に入って、三度目ですって」

「商人たちが王都へ入れなくなれば、困るわね」

「それだけではありませんよ。北部の村では、家畜が何十頭も消えたそうです」

「魔石鉱山でも事故があったのでしょう?」

「ええ。採掘場の奥で突然、魔力が暴れたとか」

 声を潜めていても、不安は隠しきれていない。

 魔物の森は、昔から危険な場所だった。

 それでも、近年ここまで被害が続いたことはない。

 王都から離れた場所で起きていることとはいえ、貴族たちの生活にも少しずつ影響が出始めていた。

 輸送が遅れ、食料の値段が上がり、魔石の供給も不安定になっている。

 誰もが原因を求めていたのだ、分かりやすく、責めやすい原因を。

「やはり、銀髪の……」

 誰かが呟いた――セレナは聞こえなかったふりをした。

「あの方が王都へ上がられてからではありませんか?」

「でも、婚約が決まったのはずっと前でしょう?」

「王宮へ出入りするようになったことで、何かが乱れたのかもしれませんわ」

「ああ、恐ろしいこと」

 根拠など何もない。

 けれど、根拠がないからこそ、噂はどこまでも広がっていく。

 ――銀髪は災厄を呼ぶ。

 この国では、昔からそう信じられてきた。

 セレナ自身も、その言葉を否定できるほど強くはなかった。

 自分が生まれたことで、母は苦しんだ。

 父は家名を守るために悩んだ。

 使用人たちは離れへ近づくことを恐れた。

 もしも本当に、自分が何かを呼び込んでいるのだとしたら。

 そう考えるたび、胸の奥が冷たくなる。

「セレナ」

 不意に名を呼ばれたので顔を上げると、そこに立っていたのはアルベルトだった。

 彼は広間の中央でわずかに眉を寄せている。

「顔色が悪いなら、無理に立っている必要はない」

「……そうですね、申し訳ございません」

 セレナは頭を下げた。

「謝る必要はない。だが、今夜は大切な夜だ」

 その声は穏やかだった。

 けれど、心配しているわけではないことは分かっている。

 倒れて場を乱すな――そう言われているのだ。

「承知しております」

 セレナが答えると、アルベルトはそれ以上何も言わなかった。

 すぐにリリアーヌへ視線を戻し、何事もなかったように会話を続ける。

 セレナは、再び壁際へ身を寄せた。

 少しだけ息苦しい。

 布のせいかもしれない、あるいは、大広間に満ちた香水の匂いのせいかもしれない。

 けれど、それだけではない気がした。

 ――今夜は何かが違う。

 リリアーヌだけが、妙に晴れやかな顔をしている、まるで、何が起こるのかを知っているように。

 セレナがそう思った時だった。

 楽団の演奏が、不自然なほど唐突に止まった。

 弦楽器の余韻だけが、大広間の高い天井へ吸い込まれていく。

 談笑していた貴族たちも、次第に口を閉ざした。

 広間の奥にある大扉が、ゆっくりと開かれる。

 白い法衣をまとった男が、神官たちを従えて現れた。

 ――大神官ベルンハルト。

 穏やかな笑みを浮かべながら、彼は広間の中央へ歩み出る。

 そして、静まり返った貴族たちを見渡した。

「――皆様」

 柔らかな声が、大広間へ響く。

「今宵、王国を苦しめる災厄の正体を明らかにいたしましょう!」

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